About Himimama

初めまして、ひみママです。
かれこれアメリカに住み、20年以上の月日が経っていることにびっくりです。
アメリカ人の夫、子供3、柴犬テディと私の一般的などこにでもある家族、アメリカはフロリダ州に在住。昼間は銀行員、仕事を上がれば、妻そして母親、夜は大学生、そしてインスタグラムで ”ひみママ30秒日常英会話“の動画をほぼ毎日アップし、1日が30時間あればいいのにと、呟いています。

私は、沖縄県石垣島で産まれ育ちました。本当に時間がゆっくりと流れる素敵な海に囲まれた島です。小学一年生のある日、家に初めてケーブルテレビが入りとっても嬉しかった事を覚えています。でもテレビは一台しかなかったので、だいたい父親の好きな洋画やプロレスを観ることが多かったです。本当に洋画好きな父で私もかなりその影響をかなり受けたと思います。

アメリカ映画スターに憧れ、またあるテレビ番組で、日本人女性が英語を流暢に話し、通訳してる場面をみて、私も彼女みたいになりたいと英語にもっと興味を持ち始めました。いつか必ず英語話せるようになって、アメリカに行くぞー!と小さいながらアメリカへのそして英語への興味を持ち始めました。父にも、「父ちゃん、私、大きくなったらアメリカ行くからね。」そして父は、「はい、たくさん勉強していきなさい。」と笑顔で応えてくれました。

中学に上がり、学校で英語を勉強することがワクワクでたまりませんでした。夏休みを開けて二学期になると英語が難しくなり、不安な気持ちになってきましたね。文法用語、淡々とした英語の授業、本当につまらなかった。でも、洋画や洋楽は好きでシャドーイングをよくしていました。父が英会話教材を持っていて、その本を二人で音読したり、テープをきいて発音の練習をしたものです。学校の英語の授業より父との英語を勉強してる方が楽しかったです。

高校に上がり学校の授業は相変わらずでした。唯一楽しかったのは、オーストラリアからきた英会話の先生のクラスにです。歌を英語で唄ったり、ちょっとした会話をしたり、恥ずかしながらも楽しかったですね。家では、洋楽の歌詞を覚えたり、辞書を開き使えそうなフレーズをノートに書き出したり、洋画を何回もストップし発音の練習したり、好き勝手に英語を勉強してました。私の英語の成績は5段階のうち3ぐらいだったと思います。でも、英語が好きな気持ちは5でしたね。

高校を卒業し沖縄本島の短大へ、初めての一人暮らし。勉強というよりよく遊んでました。でも学校の英語のクラスだけは頑張ってましたね。ビーチやクラブに行きアメリカ人と会話をしたり、アメリカ人の主婦からクッキングを教えてもらったりと英語を話すのが毎日とっても楽しかったです。

両親に短大卒業後、真面目に留学したい事を話し承諾を得て、テキサス州DALLASの小さな隣町、フォートワースで語学留学を経験しました。日本人の数も他州に比べれば全然少ないという理由でその町を選びました。日本を旅発つ飛行機の中で、バイバイJAPAN!!なんて事言いながら。3ヶ月経った頃でしょうか、ホームシックにかかり父親に電話し、もう帰りたいと泣きすがった事を覚えています。父は、自分で決めた事は責任を持って最後までやり通せ!と厳しい返答。でも最後に、それでもダメだと思ったら帰ってきなさい。父の寛大さを痛感した日でした。その暖かい言葉で最後まで諦めずに頑張れました。

アメリカの短大でAS DEGREEをとり沖縄本島に戻り、英会話の講師として3、4年ほどある大手英会話スクールで働かせていただきました。とても貴重な時間でした。生徒さんと関わりあった事、また彼らが私に会話を英語でした事、分からなかった事がわかった時の生徒さんの表情など、今でも忘れられません。毎日、仕事に行く事が楽しかったですね。やっぱり好きな事は仕事と感じないものなのです。

そんなわけで、YOUTUBEをはじめInstagramそして、このひみママ英会話のウェブサイトが立ち上がったわけです。皆さんが、楽しく英会話を上達できるようお手伝いさせてください。

Himimama ♥